3月11日に思うこと。
こんにちは。
まるみブログです。
早いもので今日で3月11日は東日本大震災からまる9年ですね。
今日は私のあの日について書いてみたいと思います。
2011年3月10日の私
さかのぼる事9年前の3月10日…
私は当時は以前の会社である店舗の店長をしていました。
その日は私は連休をとって友人3人で箱根の温泉に旅行に行く日でした。
みんなそれぞれ仕事を持っていたので、日頃の疲れを癒そうという旅の目的でした。
ちょっとだけフンパツをして素敵な温泉宿に宿泊する事にしました。
3人ははじめての旅でウキウキはしゃいでいました。箱根登山鉄道に乗ったり楽しい時間を過ごしました。その後お宿に着きみんなで温泉に入ったり、美味しい食事を頂いたり、3人それぞれ旅を楽しんでいました。
食事を終えてまた温泉に入りました。ゆっくり温泉に浸かっていると、またみんな日々の仕事の事などが頭に浮かんできました。誰かがふと…
『…明日かえりたくないなぁ^^;』
『うん。帰りたくないねぇ。帰るのやめるかぁ?』
なんて冗談を言い合って笑っていました。当時すでにみんないい歳だったので仕事もそれぞれ責任があったりで、ふとこの楽しい時間と現実の自分の普段の生活とのコントラストを考えるとちょっとだけ寂しくなったんだと思います…。
そんなこんなして夜もお酒を飲んだり、おしゃべりをしてたりして女三人の楽しい時間は過ぎていきました。
2011年3月11日の私
そして翌日私たちは元気にお宿を後にしました。
箱根湯本の駅前の商店街でお土産を買ったりぶらぶらして、電車の時間までのんびり過ごしていました。
そのあとそろそろいい時間だったので駅に向かい、私たちはホームで電車を待っていました。その中で一人Uちゃんがお手洗いに行くという事で私はTちゃんと立っておしゃべりしていました。
その時です。
地面が大きくスライドし始めました。私たちは最初それが何かよく分からなかったです。なんか地面が変じゃない?と言いながらなんだ?ゆらゆらしてる…地震?(感覚としては地面が動いて地下鉄でよくある動く歩道のような…)みたいなかんじであまりよく状況が分かっていませんでした。
その後Uちゃんがお手洗いから帰って来てなんか地震あったねーみたいに、その時はあまり深刻に捉えずにそのまましばらく三人で電車を待っていました。
再び商店街へ
待てど暮らせど電車は来ないし、アナウンスも確認中です…を繰り返すばかり。
私たちは、しばらくしたらまた電車も動くのかなぁと思いまた湯本の街をぶらぶらする事にしました。
商店街の中でもまた余震が来て、お店のシャッターがガタガタなったりして怖かったです。少し動揺している年配のお店の方もいました。
歩き疲れて…
私たちは何度か駅に再び行きましたが、一向に電車は動く気配がありませんでした。
仕方なく駅がちょうど見える場所にある喫茶店に入ることにしました。
お店の中は私たちのようなお客さんでいっぱいでした。お客さんの中には荷物を先に宅急便で送ってしまったのでどうしたらいいのかしら…という方もいました。
当時まだスマホが浸透していなかったので、みんな情報がいまいちよく分かってない人が多かったと思います。
その為、喫茶店は有線をラジオにしてくれてみんなに情報を流してくれていました。
携帯電話の充電もコンセントどうぞ好きに使ってくださいと言ってくださりました。
お好きなだけ居て大丈夫ですと言ってくださりどれだけ助かったことか(´;ω;`)
喫茶室ルノワール 箱根湯本駅前店さん 本当にあの時はお世話になりました。
お店の中から電車が動くのをジッと祈るようにして見ながら待っていました。
その間も何度も揺れが来て、観葉植物がグラグラ揺れたりして、店内にも動揺している人が小さく悲鳴を上げたりしていました。
そのあたりから私たちもこれはもしかしたら大変な事なのかもしれないと思い始めました。
電車は運休に
その後電車は今日は動かないという事が分かり呆然とする私たち三人...
でも呆然ともしていられないので、私たちは駅前の観光案内所に向かいました。
するとそこには長い長い行列が出来ていました。
待つこと一時間位だったでしょうか。ようやく私たちの順番が来てなんとか近隣のお宿三人分をとる事が出来ました。
時間はもうすでに17時か18時かになっていたと思います。
疲れ切った私たちはようやくお部屋に入ることが出来ました。
テレビをつけた時、私たちは絶句しました。
映し出される東北の映像を見て、私たちははじめてすごい大変な事が日本に起きたんだと分かりました。
私たちはなにか食べるものを調達しに行こうとコンビニへ行きましたが、店内はほとんど物が無くなっていてその中でもなんとかお菓子や缶詰め、飲み物など少しは買う事が出来たので良かったです。
その後も私たちはずっとお部屋でテレビの映像を見続けていました。
昨日のはしゃいだ感じはもうどこにもありませんでした…
Uちゃんは実家に住んでいたので家に帰れないことを電話で話していました。
家の人に『めったに旅行なんてしないあんたが旅行なんか行くからこんなことになったんだ』と怒られて余計に落ち込んでしまいました。
今思えば、Uちゃんの親御さんも非常時に娘が遠方に行っていることが心配だったんだと思います。
とにかく私たち三人は静かに過ごしていました。明日は果たして帰れるのか電車は動くのか仕事へいけるのかそれぞれ皆不安な気持ちでいました。
前日は帰りたくないなんて冗談を言い合っていましたが、実際にそうなってしまうと、ものすごく帰りたかったです。
急遽泊まったお宿も箱根なので温泉宿でしたが、私たちは不謹慎だから温泉に入るのはやめようと話していました。でもずっと長い時間外にいて私たちは体も疲れて冷え切っていたのでやはり一回だけ温泉に入ることにしました。すごく温かくて疲れた体と心がほどけていく感じがしました。ありがたかったです。
2011年3月12日
あくる日、私たちは再び駅へ向かいました。
電車は特急は全て運休でしたが、各駅停車はなんとか動くという事で私たちはそれで帰ることにしました。
帰り道はみんな急な出来事に疲れてしまい会話も笑顔も少なかったのですが、時々言葉を交わしながらゆっくりと三人で帰りました。
最後に
私はあの日そこまで辛い思いをしたわけではありませんでしたが、それでも急な出来事に慌てたり不安になったりしました。
それでも私なんかたった2日間の出来事です。
東北の被災した方を思うとどれだけ辛かっただろう…と思います。
先日行った東北の旅でもそう感じました。
今は日本中ウィルスでパニックになっていますが、日本が地震大国である事も変わらない事実ですのでこの先もいつどこで地震が起きるか分かりません。
そうなった時、東日本大震災の経験を活かして落ち着いて行動して被害が大きくならないように対処していけたらと思います。
また今回のウィルスの騒動で思いましたが、やはり普段からの備えは必要だなとも思いました。
ただ今は時期ではありませんのであくまでもウィルスの問題が落ち着いてからですが、少しずつ色々な備蓄も大事だと心から思いました。
今日もご覧いただきありがとうございました😌